あとがき 株式会社GSユアサ 萩尾 茂
あれは2009年の幹事会だった。関西EACが2011年で50周年を迎えるにあたり、当時の会長から「先輩方から我々に至る半世紀の活動は、今後の設計・開発現場での改善チャレンジの礎となりうるものなのか?何らかの形にして、世の中に問うてみよう」と提案があり、“世に問う成果物”としてプロジェクトがスタートした。とはいえ50年の歴史をさかのぼるには、資料、時間に限りがあるのでパソコンが職場に導入され始めた20年くらい前からの例会発表事例などを通してそれぞれの「テーマに対する思い」を書くこととなった。
執筆を免れた私は何の運命か編集責任者となったが、“何とかなるだろう”精神でのん気に構えていたが、会長、副会長は、多忙な本業の裏でコツコツと原稿をしたためて全体の方向性を示してくれたものの、2010年秋の幹事会時点での多くの執筆者は「原稿って書いてる?資料は集てるけどいつ頃、何をどうしたらええの?」という状態・・・。かくいう私自身の頭の中も「本づくりってどうするの?」と真っ白のままだった。
年は明けて2011年、さすがに業を煮やした役員から「関西EAC会員の工学研究社さんが出版など手がけていて協力していただけるよ」と紹介いただき、ようやく真っ白な頭の中に一筋の光が見えてきた。しかし、50周年記念イベントまで1年足らず・・・さすがに焦ってきた。
関西EACの運営はボランティアなので、その人たちの熱意で全て決まってくる。出版社との協議を経て、出版までの道筋と各自のタイムリミットが示された途端、遅れていた執筆者の皆さんはほとんど休日返上で執筆活動に没頭。次々に届けられた原稿の中身は執筆者の熱い思いが一杯詰まったものであった。そして更なる熱い思いが交錯した執筆者相互の原稿チェックが入る。喧々諤々のやり取りの結果、かなりの書き換えも発生しながらも堂々と世に問う自負が詰まった原稿が集まってきた。続いて初校・再校の校正プロセスや本のタイトル・表紙のアイデア出し・決定など経るに従って通して「本づくり」に携わる実感が涌いてきた。
最後にはそんなワクワク感を味わいながらたくさんの皆さんの協力を得てこうして“世に問う成果物”を何とか世の中に送り出すことができたことを心よりうれしく思う。
近年、日本の「ものづくり」は更なるグローバル化と国内産業空洞化阻止の狭間に漂いながら方向性を模索し続けている。グローバル化には国内の設計開発力いから強化するかが不可欠である。そのことが国内産業の空洞化を防ぐことになり、そのためには様々の視点からの取り組みが必要であることが本書によって示されたと思う。いっぽう日本社会はこれまでの社会システムが破綻し、先行きが不透明なままの経済のなかで政局が混迷していたところに未曾有の大震災が発生し困難を極めている。あまりにも悲惨な状態の中で「ものづくり」はおろか「くにづくり」の方向性さえなかなか見出せていない。しかしながら、日本国民はこの状況を打開するためにはひとつになる必然性をなんとなく共有している。そしてつい先日、『夢を持って、諦めないで続けていれば夢は叶う』『ひとつの目標のためには、ひとりひとりが努力を惜しまない。』ことを、サッカー女子のなでしこジャパンが史上初のワールドカップ優勝というかたちで見事に示してくれた。
日本の「くにづくり」、「ものづくり」を取り巻く環境は厳しいが、我々が夢を持って諦めないで続けていくことが、関西EACの先達の方々への恩返しになり、これからの国難を切り開き日本の復興、「ものづくり」の復興につながっていくものと信じてやまない。
ここから先は、この本を手に取っていただいている読者の皆さんと更に喧々諤々の議論を繰り広げて、新たな「ものづくり」の歴史を築けていければ本望である。
最後に、「ものづくり」は大好きなものの「本づくり」には全くの素人だった執筆・出版編集のメンバーに全面的な協力をしていただいた(株)工学研究社の吉川氏を始め、権藤氏、鎌田氏に厚く謝意を表したい。